望洋自治会
望洋自治会について
望洋自治会は神奈川県横浜市中区 矢口台、池袋、根岸加曽台の3つの町から成る住宅地で、JR根岸線山手駅の南側の丘一帯に逆L字型に広がっています。
かつては半農半漁の村だったこの地には、明治時代になるとヨーロッパから来日した人々の洋館が建ち並びました。街のほぼ中央に位置するYC&ACは、この街に長く続く国際交流の歴史を受け継ぐ存在です。
また、第二次世界大戦後は、この街や近隣に多くの米軍関係者が家族と住んでいました。その広大な跡地の一部は今、山頂公園として私たちの暮らしに憩いと彩りを与えてくれています。
現在、約750世帯が加入する私たちの自治会は、歴史の記憶を留めながら少しずつ変化を続けています。
望洋自治会の沿革
自治会の発足
昭和26年12月、初代会長、深野潤三のもと、自治会が発足しました。この年、サンフランシスコ講和条約の締結とともに法的規制が解かれ、日本では町ごとに防火防犯協会などの地域組織が再び結成されるようになりました。当自治会はその機会を捉え、市が町内会組織を推進するようになる昭和31(1956)年を待たず、ひと足早く発足したようです。
しかし歴史をさかのぼると、第二次世界大戦前からこの町には自治の体制が整っていました。
歴代会長一覧
戦前の会長
大貫 栄太郎
白井 八郎兵衛
鈴木 惣太郎
小野田 栄作
大久保 与四郎
深野 潤三
戦後の会長
昭和26(1951)年3月~昭和33(1958)年3月 深野 潤三
昭和33(1958)年4月~昭和43(1968)年3月 小野田 栄作
昭和43(1968)年4月~昭和45(1970)年3月 加瀬 左武郎
昭和45(1970)年4月~昭和47(1972)年3月 奥田 正人
昭和47(1972)年4月~昭和51(1976)年5月 青柳 理重
昭和51(1976)年6月~昭和58(1983)年3月 伊屯 彦松
昭和58(1983)年4月~令和2(2020)年3月 有馬 弘政
令和2(2020)年4月~現在 大﨑 享
望洋自治会の命名
昭和の初期には、この町は「望洋会」と名付けられていたようです。
詳しい事情をご存知の方がおられましたら、ぜひ、自治会までご一報ください。
望洋自治会館の落成
昭和63(1988)年4月2日、会員の方々の協力の下、現在の地に自治会館が落成しました。
設計・デザインは、当自治会会員の建築家、須永信一氏が行いました。
YC&ACとのつながり
望洋自治会のほぼ中央、丘の頂上にあるYC&ACは、大正元年(1912年)に横浜公園(現在の横浜スタジアム)から現在の地(矢口台)に移転してきました。明治時代から続く日本最古の会員制スポーツクラブで、今も様々な国籍のメンバーが所属しています。サッカーやラグビー等の公式試合も行うことのできる広大なグランドでは、望洋自治会の季節のイベント等を共同開催しています。特に、昭和52(1977)年にスタートした夏の国際親善盆踊りは、第一回からYC&ACグランドで行い、間もなく半世紀となります。これを機に、望洋自治会とYC&ACの交流は深まっていったようです。
望洋自治会 概要
名 称
望洋自治会
区 域
横浜市中区 矢口台、池袋、根岸加曽台
会 長
大﨑 享
望洋自治会館
〒231-0834 神奈川県横浜市中区池袋61-7
Tel & Fax 045-625-6050
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