かけあしで振り返る
横浜市町内会制度の成り立ち~望洋自治会の発足

横浜市における町内会制度の起源 概要
明治22(1889)年、横浜市に市政が施行。横浜は開港地として貿易関係や居留する外国人との交流が盛んで、伝染病の危険にさらされる機会も多かったため、明治23年には衛生組合が作られました。これが、後の町内会の起源であったと考えられます。
大正12(1923)年9月の関東大震災後には、任意団体として青年団や、今の町内会のような組織が市内のあちこちに生まれました。横浜市も、これらを側面的に援助・育成していったようです。
昭和15(1940)年、内務省は行政組織として全国的に町内会を整備。町内会の下には十戸前後からなる複数の隣組を作りました。「トントントンからりと隣組」の歌が流行ったのもこの頃のことです。
ポツダム宣言受諾(昭和20(1945)年8月14日)に伴い発せられた政令により、戦後、町内会は解体されます。しかし、市民が自主的に行政参加する組織へと生まれ変わっていきます。
昭和26(1951)年、サンフランシスコ講和条約の締結とともに法的規制が解かれ、町には防火防犯協会などの地域組織が再び結成されるようになります。望洋自治会が発足したのはこの年、3月のことです。しかし歴史をさかのぼると、第二次世界大戦前からこの町には自治の体制が整っていました。
昭和31(1956)年、横浜市は現在の町内会組織を打ち出し、従来の町内会もそれに応じて再編成され、本格的な活動が始まりました。
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ご一緒に私たちの街、望洋自治会の歴史を記録し、積み重ねていきましょう。
大崎
2020年より望洋自治会の会長を務めております。早くから海外との交流が盛んだったヨコハマの中でも、望洋は日々の生活が常に海外の人や文化と隣り合わせてきた、きわめて稀有な歴史を持つ地区です。この街の魅力を皆様により深く知っていただく一助になればと、古い広報誌などもめくり、歴史を掘り下げてみることにしました。他の記事もぜひお読みいただき、感想などお寄せ頂ければ幸いです。
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